漫画好きなかたにはきっとご共感いただけると思いますが、漫画を読みながら「音も聞いてみたいな」と思った作品はいくつもあります。
私にとっては「青オケ」全編、「着せ恋」二期相当と想定されるあの文化祭シーン、そして
この「花修羅」がそれにあたります。
ユーフォの武田綾乃先生から本書に入った私は、この原作を読んで朗読の凄みを知り、それからは相手に伝わるアウトプットに注意を払うようになりました。
アウトプットに注意を払うとは、相手に合わせた文脈や言葉のチョイスだけでなく、音素の分解、視覚などのノンバーバル領域、自分の心の状態など。
この朗読をテーマとする本作がアニメ化したらどんなに凄いんだろう…
その期待がアニメ化で叶えられました。
第一話視ました!
「これは夢だ」という夢を見続けられる、我に返ることのない没入感
私は「映像制作をテーマとする映像作品」「執筆をテーマとする小説」など創作をテーマとする創作があまり得意ではありませんでした。
内輪ネタというか、メタ視点に立たざるを得ない瞬間ふと我に返ってしまうことが多いからなのでは、と思ってます。
「映像を作ってる映像を作ってる人」がつい映像に見えてしまう、「小説を書いてる小説を書いてる人」が小説から読みとれてしまうその瞬間、ずっと没入してたのにふと「これは夢だ」と自覚してしまった瞬間に夢から目が覚めてしまう、という感覚に近いです。
合わせ鏡の中に映ってる無数の自分を発見し、自分の中の深淵を見つけ「没入してもいいのだろうか?」という不安に駆られてるということなのでしょうか。
このようにメタ視点が苦手な自分には「創作活動」それ自体をテーマとする作品は苦手なままだったかもしれません。
こんな経緯から原作を読んで「朗読をテーマとしたアニメ」はどのようになるんだろう?という考えを持っていたはずでした。
30分が一瞬でした。
朗読をしてる映像作品を見てた筈なのに、朗読を俯瞰することなく憑依したまま完走していました。
いや憑依「された」のかも。
朗読が、目の前のキャラクターを飛び越えて、直接私に響いて来ました。
没入したままでもいいのかもという感覚が、我慢しがちだった花奈が放送部に入りたいという本当の願いを解き放った瞬間の解像度を高めました。
視終って暫くして我に返り、公式を見たら、構成の「原則としてモノローグはなし、感情の動きなどを含め絵で見せられるところは、説明となりそうなセリフは言わせず、絵と演出の力にお任せすることとし、実写っぽさを意識」とありました。
ようやくメタ視点が戻ってきたときに、初めて「声優って凄いな」ということに気付かされました。