アニメ

オッカムの剃刀が振るわれるとき、流血を避けられなかった人間の歴史「チ。 ―地球の運動について―」1クール折り返し

この記事は約6分で読めます。

2024年の秋アニメシーズンに始まった「チ。 ―地球の運動について―」。

放映は開始時から知ってましたが、当時は自分が読み進めてる書がありました。
その書と「チ。」はテーマが同じなのではと推測したので、イメージの混同を避けたく、「チ。」リアタイへの合流視聴は、読んでる書を読み終えてからにしようと決めました。

そんなわけで「チ。」の話題に入る前に、どうしても紹介しておきたい一つの書があります。
その書とはこれです。

世界はシンプルなほど正しい「オッカムの剃刀」はいかに今日の科学をつくったか

この夏買いました。

論理的思考でのMECEな視点について説明するとき、日ごろから「切り分ける」という表現を好んで使ってる立場としては、いつか「オッカムの剃刀」という言葉の真意を知ろうと考えてました。
そんな動機でふとあるときAmazonで「オッカムの剃刀」を検索したことが、この書に出会ったきっかけです。

少なくともこの5年で一番大きな感銘を受け、頭がすっきりとし、影響を受けた書になりました。
私の見かたでこの書の概要をまとめると、こんな感じです。

オッカムのウィリアムによる唯名論は当時異端扱いされるも、その考え方の方針はオッカムの剃刀としてその後神学から科学を断ち切り、さらに後世の天文学、芸術、物理学、生物学、量子力学などの発展やキリスト教改革に寄与した。
実はそれぞれ全ての概念は「それはそれ、これはこれ」などではなく、科学として繋がりがあった。
しかし、サンタクロースなんていないと言う子供時代の友達がつまらないやつ扱いされたように、偏見のない視点での正論は、それぞれの時代で疎まれる…
そんな人間社会では、分かってしまえば非常にシンプルな考え方も、証明には長年の時間と葛藤を要した。

著作物の中身を丸々転載するのは気が引けますが、この本の中の重要な一節だけはどうしても紹介したいです。

オッカムの剃刀は至る所に転がっている。あらゆる時代にあらゆる場所で進歩を妨げてきた勘違いや独断、偏狭や先入観、信条や誤った信念、あるいはまったくのたわごとの藪を切り拓いて、道を敷いてきた。単純さが現代科学に組み込まれたのではなく、単純さそのものが現代科学、ひいては現代の世界なのだ。(中略)とりわけ、いままで足枷となってきたあからさまな偏見や独断や不利な立場に縛られていない、性別や人種や性的指向もさまざまなずっと幅広い立場の人々だ。

P456


この書で感じたことは、もし人間が考える葦で、社会とは最大多数の最大幸福だとしたら、真理ってのは社会の将来を幸福にするものなのでは?
そして真理の反対である偏見とは、ウイリアムが不可知とした神を「わかったふり」することから生じるのでは、ということです。

読了には3ヶ月を要しましたが、このような心得で

チ。 ―地球の運動について― 

の視聴に入ることが出来ました。

二話「今から、地球を動かす」まで視て、やはり本アニメのテーマは「神学から科学を切り離そうとするオッカムの剃刀」なのではと確信し、作者の意欲に敬意を感じました。
そのテーマを月並みな表現で言えば「真理の尊さ」でしょうか。

©魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会

フベルトから託されたこのペンダントは一見、地動説の証明となったガリレオ衛星を従えた木星に見えて、この先を暗示させます。

八話で「オッカムの唯名論」キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

©魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会

本作品からオッカムの名前を聞けて嬉しいのは、ヨレンタが半日で問題を解いたことを発見したときのバデーニらの喜びと同じぐらいです(言い過ぎ)。

本作はやはり、前述で紹介した書と同じ「真理の尊さ」をテーマとしており、しかもそのテーマを「オッカムの剃刀」のごとく出来るだけダイレクトに伝えようという壮大な意図まで感じ、少なくとも私には効果絶大です。
私は原作未読勢ですが、まるで前述の書が原作の原案のひとつであるかのように、ここまではテーマが共通しています。

好奇心で知恵熱止まないテーマが意欲的過ぎて、リアタイには十一話で合流出来ました。
十一話「血」は前話「知」との対比。
きっとこの先のストーリーで「オッカムの剃刀を振るえば偏見という返す刀が血を流し、無傷でいることは出来ない」が描かれるのでは、という強い示唆を感じます。

十四話「今日のこの空は」。
このような状況も念頭に周到な心づもりをしてきたはずのバデーニも、オクジーの目を人質にされついに屈しました。
過去は現世を終えることしか考えてなかったオクジーが地動説に触れ生きる意味を見つけたのと同じように、バデーニもまたオクジーから受けた影響は大きく、それは満ちた金星を捉えた唯一の目だけではなく、感情を言葉にし後に残そうとすることの意味。

©魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会

流星になる間際のオクジー。
「満ちてる」のは金星、そしてバデーニも守った目にその金星を映すオクジー自身の、歴史に必要とされた現世での実感。

この十四話、本作品的にターニングポイントな気がします。
放映シーズンが2クール目に入る、地動説のバトンがオクジー・バデーニから渡される、ということももちろんあります。
今回驚いたのは、あのバデーニの口から「感動」「信じることにするか」という言葉が出たこと、またメタ視点ですが

©魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会

オクジーとバデーニを示唆する流星。
天文学的にはただの隕石落下でも、もし流星がオクジーとバデーニだとしたら、そこは地ではなく天。
その天から観た地球は二人の目にどのように映ったんでしょうか…
などといろいろ考えるとこの先は、バデーニが最後言った言葉の世界線に従えば、真理の尊さは血の通った者の感情によって伝わる、という構成になりそうな予感がします。

ラファウから地動説をオクジー・バデーニが継いだ群像劇は、この先はヨレンタが中心になるのでしょうか?
未読勢ですので想像に過ぎませんが、原作者はきっとそう描きたいはず、と憶測してます。
前述した書にもありました通り、オッカムの剃刀の敵だった偏見には、女性であるというだけで立ちふさがる壁の大きさを見逃すことはできなかったので。
本作内で、オクジーの著作がどのような形で伝わり、どのような内容なのか、ヨレンタはこの先も知を探求できるのか?
などがいろいろ気になって仕方ありません。

もし真理への道程が血塗られているのが宿命なら、そしてもし人生の意味とは「その意味を知ること」なら、自分は今後「深淵をのぞく時深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉を、真理とはその先にある尊いこと、というポジティブな意味で受け止め、この先の本作の深淵をのぞかずにいられません。
全部わかってるふりをすることから偏見は始まる、と心得ますので、常に探求心は失わずに生きていきたいです。

今の時代、果たして真理がまっとうに受け入れられているとは言いがたいと思ってます。
また、次世代がより良き純粋な思考でいられるようなバッファを残せてないことも断言します。
若くない自分の経験でさえ「昔からこうやってるから何も考えずこれでいいんだ」というバイアスと戦ってきた繰り返しでした。
今の時代だからこそ、何事も根本に立ち返って考えるオッカムの剃刀が必要だと強く思うし、そのような課題認識を背景とする今だからこそ、この作品の生まれた意義を感じます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました