衝撃的なコペルニクス転回の最終話でした。
衝撃を感じた点は主に二つ。
ラファウをして悪事に手を染めさせる。

本作のテーマは真理を目指すことの尊さだと確信していた私は、

前話の「タウマゼイン」で安心しきっていたからです。
本作を通じたタウマゼイン「真理探求」の象徴であるはずのラファウが自ら尊さを手放すなんて、完全に私は虚を衝かれてしまいました。
2つ目の衝撃は
2クールで地動説はまだコペルニクスにも至っていない
ことです。

真理の探求がテーマなら、ガリレオ衛星のネックレスという伏線はフィナーレで回収され、ガリレオの史実まで届くと思っていたからです。
しかし最終話に至ってもガリレオはもちろんコペルニクスさえ登場せず、

アルベルトは地動説に苦笑しつつ、空を見上げて終わります。
これまで初代ラファウからドゥラカまで綿々とつながったバトンはアルベルトにはつながっていません。
あたかも出版がゴールのようです。
アルベルトがその後オクジーの書を読んだかは視聴者の想像に任されています。
もちろん絶対読んでアルベルトなりのタウマゼインを得ただろうと確信はしてます。
この後日談のような最終話で自分が感じたことは、
自分含め人間の営みとは些細なものである、ということでした。
あれほど命がけだった真理の探求。
物語が進むにつれ、いつしか私は、全部わかってるふりをすることから始まる偏見によって真理への道程が血塗られるのが宿命なら、真理の尊さは血の通った者の感情によって伝わる、という仮説を加えていました。

この最終回ではそんなあれこれ考察する自分も些細な存在である、というメタ視点を得ることが出来ました。
私が立てた仮説や考察も結局他人からは私の独りよがりなバイアスに過ぎないからです。
もし逆に、私の考察通りに物語が進んでしまったら、このようなメタ視点を得ることはなかったでしょう。
And yet it moves.
それでも私は、どんなに小さな存在だったとしても、物事の意味を考えることは止めようとは思いません。
人生の目的とは「live for life」だと思ってるので。