チ。 ―地球の運動について― 最終話。好奇心が猫を殺し、それでも地球は動いている

衝撃的なコペルニクス転回の最終話でした。

衝撃を感じた点は主に二つ。

ラファウをして悪事に手を染めさせる。

©魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会

本作のテーマは真理を目指すことの尊さだと確信していた私は、

オッカムの剃刀が振るわれるとき、流血を避けられなかった人間の歴史「チ。 ―地球の運動について―」1クール折り返し
2024年の秋アニメシーズンに始まった「チ。 ―地球の運動について―」。放映は開始時から知ってましたが、当時は自分が読み進めてる書がありました。その書と「チ。」はテーマが同じなのではと推測したので、イメージの混同を避けたく、「チ。」リアタイへの合流視聴は、読んでる書を読み終えてからにしようと決めました。そんなわけで「チ。」の話題に入る前に、どうしても紹介しておきたい一つの書があります。その書とはこれです。世界はシンプルなほど正しい「オッカムの剃刀」はいかに今日の科学をつくったかこの夏買いました。論理的思考で...

前話の「タウマゼイン」で安心しきっていたからです。

本作を通じたタウマゼイン「真理探求」の象徴であるはずのラファウが自ら尊さを手放すなんて、完全に私は虚を衝かれてしまいました。

2つ目の衝撃は

2クールで地動説はまだコペルニクスにも至っていない

ことです。

©魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会

真理の探求がテーマなら、ガリレオ衛星のネックレスという伏線はフィナーレで回収され、ガリレオの史実まで届くと思っていたからです。

しかし最終話に至ってもガリレオはもちろんコペルニクスさえ登場せず、

©魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会

アルベルトは地動説に苦笑しつつ、空を見上げて終わります。
これまで初代ラファウからドゥラカまで綿々とつながったバトンはアルベルトにはつながっていません。
あたかも出版がゴールのようです。

アルベルトがその後オクジーの書を読んだかは視聴者の想像に任されています。
もちろん絶対読んでアルベルトなりのタウマゼインを得ただろうと確信はしてます。

この後日談のような最終話で自分が感じたことは、

自分含め人間の営みとは些細なものである、ということでした。

あれほど命がけだった真理の探求。

物語が進むにつれ、いつしか私は、全部わかってるふりをすることから始まる偏見によって真理への道程が血塗られるのが宿命なら、真理の尊さは血の通った者の感情によって伝わる、という仮説を加えていました。

チ。 ―地球の運動について― 第二十二話
勝手な妄想あり閲覧注意凄すぎて脳が焼かれ、震えてしまいました。まさかここまでの展開になるとは…この二十二話で受けた衝撃が大きすぎました。©魚豊/小学館/チ。 ー地球の運動についてー製作委員会ノヴァクはこのあと、処刑されたと信じ込んでいたヨレンタの足跡を、出版を通じて知ることになるかも知れないという一見因果応報もありうること。そして、地動説への弾圧はノヴァク周辺に限っていた叙述トリックで、全欧州中で行われていたと思っていた視聴者としての自分のメタ視点が根底から覆されたこと。アントニ司教「人を異端と呼び拷問し殺...

この最終回ではそんなあれこれ考察する自分も些細な存在である、というメタ視点を得ることが出来ました。
私が立てた仮説や考察も結局他人からは私の独りよがりなバイアスに過ぎないからです。
もし逆に、私の考察通りに物語が進んでしまったら、このようなメタ視点を得ることはなかったでしょう。

And yet it moves.

それでも私は、どんなに小さな存在だったとしても、物事の意味を考えることは止めようとは思いません。
人生の目的とは「live for life」だと思ってるので。

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