原作に感動した既読勢です。
原作は電子ですが全部あります。
目の前の人との今を大切にしよう、そう思えるようになる珠玉の作品です。
明日死ぬかもしれないし、明日失うかもしれない、だから目の前の人との今を大切に生きる。
それは刹那的ではなく、目の前の人の先々を「おもんぱかって」。
最終回、この原作で受けた自分の感銘そのもののフィナーレを迎えることが出来ました。
もし亡くなった人に魂が残ってるのなら、きっと「生きる人の幸せを願う愛の尊さ」という境地なのでしょう。
あらためて毎話のEDを見直すと
この貴恵はどこにいて、何を見届けているのか、心残りは、など色々想像してしまうと…
さて、早くも8話で万理華が戻ってきたとき、あの力作である原作を1クールに収めようとする意欲をくみ取り、
もしかして時間的な制約があるのでは?
と推察しました。
筋書きでの「なぜそうなるのか?」という因果、心境の経緯、いわゆる必然性は、既読勢にとっては全て分かり味です。
例えば、いつどこでなぜ蓮司さんが麻衣を好きになったのか、圭介が結婚届を作ろうと思い立った動機は、なぜ貴恵が憑依するまでに至ったのか…
これらの因果が分かり味なエピソードが原作には多いので。
ネタバレ控えますが、アニメでは大胆に省かれた筋書き上重要な人物が、原作には多く登場します。
詩織さん、蓮司さんの祖母、そして出雲先生…
もしこの方々を登場させたら、間違いなく1クールでは終わりません。
と同時に、原作を読んでいた時には貴恵に偏っていた自分の視点は、アニメだと8話で万理華が戻ってきたときには、万理華の人格にも肩入れして視てることにも気付きました。
このとき、勝手な憶測ですが
アニメでは「目の前の人との今を大切にする」に特化したテーマ再構成になっているのでは
という仮説を立てました。
そういえばアニメ化の話を聞いた当初は、もしかして設定を苦手と感じるひともいるのでは、と心配してました。
絵面だけだと結構な年の親子がさらに年下の小学生に縋る、という不気味の谷の構図になるので。
これは漫画でなら、むしろ世界観の主要概念として受容余裕な設定なんですが。
でもアニメだとその非現実的な設定がリアル寄りに近づくので拒否反応が現れるひとも出てくるのでは、という憶測です。
その心配は、2つの点で気にならなくなっていました。
一つは貴恵の生前のころの印象が残る大人貴恵がオーバーラップするような演出。
あと、美麗で解像度高い映像の多い2024秋アニメの中ではクラシカルな絵。
それらにはこの「目の前の人との今を大切にする」というテーマ集中があってのことと推察しています。
是非原作を読んで欲しいです
一般的にはアニメでも実写ドラマでも、制約を短絡的に埋めようとしたら安易なアニオリに走りがちです。その安易なアニオリの原作に対する解像度が低ければ当然違和感になります。
本作でもアニオリはありましたが、守屋君の告白や「麻衣は任せてくれ」などむしろ制約の中での筋書きの密度を上げる工夫を感じさせる良改変でした。
本作で原作で感じたのと同じフィナーレにたどり着けたのは、1クールという時間制約や、リアル寄りにしづらい設定制約があったにもかかわらず、最重要なテーマに特化して原作を尊重したから、と想像しています。
一方で、既視感で因果をすんなり受け入れられる原作既読勢と違い、想像に委ねる多くの因果や必然性は未読勢の方は考察による補完を要したのでは、と想像してます。
つきましては、未読勢でこのアニメをご覧になったかたへ。
原作でご覧になることをぜひおススメします。
アニメで省かれた箇所でも何回も泣かされます。