前編の内容がTV三期の10話相当まで進んだことで、解像度高くなりそうな後編を妄想
最終楽章前編は、久美子の演説で心動かされた部員達の奇跡的な関西大会での演奏で締められました。
この久美子の演説シーン、原作では関西じゃなく全国大会の前でした。
原作では久美子の演説が全国金の原動力となってます。
私が今回の前編で原作既読勢の魂が昇華されたと感じる理由は、この原作のクライマックスを映画では最終楽章前編一本を通じて堪能できたからです。
久美子の演説を受けた北宇治部員の関西大会の演奏が前編のクライマックスとなるには、最終楽章前編をTV三期で10話相当まで進めなければいけませんでした。しかし京アニさんはまるで新規作品のような別視点での構成により、全く違和感なく実現してくれました。
このように、前編を十三話分の十話まで進め、またTV三期とは別作品とも思える新しい視点にしたことで、単純計算だと後編は十三分の三という前編の三倍に相当する高解像度が可能になる、ということです。
妄想が膨らみます。
その後編の解像度余力は久美子ソリというマルチエンディングさえ有りうるほどで、そう願うXの投稿もちらほらお見受けします。
最終楽章後編への考察というか個人的願望
後編に残された十三分の三という解像度余力は、私の考察ではマルチエンディングではなく、
死ぬほど悔しい久美子がソリスト落選をその後どのように受容し、この先の人生にどんな意味を見出すのか
になるのではないか、と考えています。
原作未読だった時期に、私はTV三期のテーマを
- 責任を全うするために何かを犠牲にしてきた先輩たちの尊さを実感
- 音を楽しむと書いて音楽、それは上手い下手よりも大事

と想像していました。
TV三期を通じて久美子は、ソリを犠牲にしてまでも部長を全うし、北宇治を全国金に導きました。
三期を敢えて原作から変更してまで伝えたかったテーマこそ「求めていたものを手にすることは出来なかったかわりに、ふと見つけたものは実はとても大切なものだということに気が付いた」なのではないでしょうか。
この偶発力を、世間一般には「Serendipity=セレンディピティ」というそうです。
人はそれぞれの世界を生きていくからこそ、人生とは、本来自由であるはずの「何に意味を見出そうとするか」の選択の繰り返し、だと思っています。

最終楽章前編のアバンが、あすか先輩からノートを託されて、優子先輩・夏紀先輩からの引継ぎから始まってたことで、前編全体を「何に意味を見出そうとするか」で視点が三期と異なっているように感じています。
その新しい視点、及び本当の完結となる「最終楽章後編」に描かれるテーマとは、
ソリを失った代わりに久美子が得たものの大きさ
についてだと妄想しています。
てかそうなって欲しい。
三期Blu-rayのExtra Episodeや、10th Anniversary DiscのドラマCDには収録されなかった「みんなの話」のエピソード十一「未来への約束」。
私はこのエピソードが後編に加わり「音を楽しむと書いて音楽」を、久美子が得た大きな人生の意味として表現するのでは、と妄想しています。
妄想だからきっと外れますが、妄想だけなら自由です。
仮に、ここであすか先輩から託されたノート「響け!ユーフォニアム」をユーフォパート皆で演奏する、もしそんなシーンがあったらと妄想するだけでもう情緒がヤバく、至高さに昇天準備です。


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