アニメアニメ視聴

スノウボールアース完走で感じた「熱と善性」

第11話における相模の独白で、彼の過去が判明しました。
そこから私は、「スノウボールアース」というタイトル、そしてこの作品全体のテーマは

善性を育むことの困難さと、それに立ち向かう勇気

なのではないかと想像しました。

確かに相模の育った家庭環境には同情の余地があります。
しかし、彼はまず自分で自分を承認してあげるべきでした。
雪崩にそそのかされたからとはいえ「命令されたからやった」という言い訳は、世紀の大罪人アイヒマンと同じです。
いくらでも踏みとどまる機会はあったはずなのに、結局のところ相模は、雪崩と共に「善性」を直視することはありませんでした。

第11話:アウグスティヌスから考える相模の罪

古代の哲学者アウグスティヌスによれば、悪とは決して善の対極に存在する独立した力ではなく、単に「善が存在しない状態」を指すそうです。
これは物理の世界と同じです。「闇」という固有の物質があるわけではなく、単に「可視光線の電磁波が存在しない状態」を闇と呼ぶに過ぎません。光と闇が対等に影響し合っているわけではなく、ましてや「闇があるから光が輝く」というような単純な二元論ではないのです。

©辻次夕日郎/小学館/「スノウボールアース」製作委員会

私には、雪崩と相模のふたりは、この善性から目を背ける態度が「積極的か消極的か」という違いでしかないように感じられました。
だからこそ、その後に相模が犯した行為の罪深さはアイヒマンと同じです。彼らの引き起こした最終決戦でのエルデ号沈没や、その後の地球での惨劇は、志半ばで散っていく多くの人々の死をひきおこすことになってしまいました。
人の間で生きていく以上、相模は雪崩と共に等しく裁かれるべきだ―そんな願いを抱きながら、私は続きを視聴しました。

第12話:「自己超越」で芽吹く相模の善性

心理学者マズローによれば、人間の欲求には5つの階層があるといいます。
これまでの相模の行動原理は、その大半が「承認欲求」や「優越欲求」であり、すべてのベクトルが「自分」に向かっていました。
しかし第12話、彼の我欲がようやく外の世界へと向き始めます。そのきっかけとなったのが、自らの我欲が生み出した存在である「ヴィエルデ」でした。ヴィエルデという他者の存在こそが、相模の行動を「人のため」へと向かわせたのです。

©辻次夕日郎/小学館/「スノウボールアース」製作委員会

なおマズローは晩年、この5段階のさらに上に「自己超越」という6番目の段階を定義しました。
私はこのマズローの欲求階層説について、現代社会で一般的によく語られる解釈とは少し違う文脈で捉えています。それは、「より高次元の欲求を果たしようと行動することで、結果としてその一つ下の次元の欲求が満たされる」というメカニズムです。

世間を見渡すと、「自分らしさとは、他人に勝つことだ」と最上位の欲求をただの優越欲求とすり替えてしまったり、あるいは「低次元の欲求が満たされていないから、私はその上の次元に進めないんだ」と言い訳の免罪符にしてしまったりするケースがよく見受けられます。
マズローが晩年にあえて「自己超越」を付け加えたのは、「自己実現」という境地に達するためには、さらにその先にある「見返りを求めず、他者や社会のために尽くす」自己超越という目的を持たなければ、結局は到達できないのだ、という真理を言語化したかったからではないかと推察しています。

©辻次夕日郎/小学館/「スノウボールアース」製作委員会

相模は第12話にして、ヴィエルデのために動くことで、ようやく自らの「自己」を超越することができたのです。
おそらく、相模よりも恵まれない幼少期を過ごしたはずのヴィエルデが、相模の心に微かな「善性の芽」を宿したのでしょう。ヴィエルデが怪獣使いとなり、物語は最終話へと向かいます。

最終話:焦熱怪獣「人間の大地」がもたらす熱と善性

最終話、彼らがどう裁かれたかについてはネタバレになるため触れませんが、何よりミシマ・モールの人々の尊さに胸を打たれました。

©辻次夕日郎/小学館/「スノウボールアース」製作委員会

彼らの姿こそ、焦熱怪獣が「人間の大地」と呼ばれる所以でしょう。
ここでいう「善性」とは、身近な存在に幸せを感じられる人間性そのものでした。

©辻次夕日郎/小学館/「スノウボールアース」製作委員会

作中では、相模に育てられたも同然であるヴィエルデの怪獣使いたちが、ユキオの監視付きの囚われの身ではありますが、「まだ善性が備わっていない存在」として今後周囲から扱われ、善性を育んでいく余地を残します。
モール側の人々が墓地の横に相模を葬ったのも、きっと残された怪獣使いたちの心に配慮してのことでしょう。

©辻次夕日郎/小学館/「スノウボールアース」製作委員会

悪役をとことん悪役のままに描かないこの作品からは、過ちを犯した者やその系譜に対しても、後発的に善性を与えようとする優しい意図が伝わります。

気象学としての「スノーボールアース」

私が本作を観ようと思ったきっかけは、もともと学んでいた気象学の用語がタイトルに使われていたからでした。

気象学における「スノーボールアース(全球凍結)」とは、地球規模の気象バランスが、温室効果とは真逆に、現代よりも著しく低温の方向へと収束してしまった状態を指します。
地球の表面に氷床の割合が増えると、太陽光の反射率である「アルベド」が高くなり、太陽放射を吸収できずに反射する割合が増えてしまいます。その結果さらに気温が下がり、この冷え込みのループは地球全体が氷床で覆い尽くされるまで止まらなくなります。

哲学における「善と悪」の関係と同様に、熱の世界でも「冷たい」の対極に冷気というエネルギーがあるわけではありません。

冷たさとは単に「熱が存在しない状態」です。

分子構造内にある電子の振動こそが熱の本質であり、その振動が完全に止まった状態(絶対零度)以下には、温度は下がりようがないのです。

作中の焦熱怪獣が放つ「熱」が、ミシマ・モールの人々の「善性」として、冷え切った地球に再び緑と水を取り戻すように広がっていってほしいと願わずにいられません。

第2期の製作も決定し、今から放送が待ち遠しいです。

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