この歳になってアニメを見始め三年半。
我的史上最高アニメの初見は配信サイトからでしたが、途中のアンコンからリアタイに合流できました。
その喜びは味わい尽くさなきゃ、と既に前編と同じく六度鑑賞してるユーフォ最終楽章の後編。
初回の「舞台挨拶ライブビューイング」。

三度目の「演奏会」。

そしてDolby Atmos、および聖地でのDolby Cinema観賞。

最終楽章の前後編で初めてユーフォを上映してくれた地元スクリーンも、連日の上映予定がとうとう翌日以降途絶え、後編の終映日な雰囲気が現れ始めました。
七度目
アンコンから合流したリアタイの至福はついに、5枚あったムビチケのラスト1枚を使い、その区切りを噛みしめることにしました。
田舎な地元でもこの入れ込みです。

空いてるように見えるかもですが実は平日の夜。
これでもこの日の劇場でこのあと購入可能な直近13作品の中では2番目の客入りの多さでした。



スクリーンは写真の通り小さめです。
でもスクリーン仰角の小ささも知ってるので、着座位置はスクリーンを視界全体に収めるために前方を予約するようにしています。
特典は「紡がれるメロディ」の方でした。
ラストシーンで、奏が来年卒業するときには、奏も佳穂に「後輩に聴かせてやって〜」ってやるのかな?と一瞬想像しました。
でもすでに二人は一緒に合奏してますしね。
となると来年のこの曲は、他の楽器とか他のパートとかも加わり、北宇治全体に広がるフェーズ…

ならきっと、奏から佳穂にどう託すのかも妄想が膨らみますが、いつしかこの曲は滝先生のような心得ある人が編曲して、久美子先生赴任時までにオーケストラバージョンになってて、久美子もそれを知ってか知らずか赴任。
部員たち皆が何かあったらそれを吹いてるその音に、感じ入ってるのがあの窓際の久美子先生なのでは、という方向に妄想をはかどらせました。
誰か一人が吹き始めたらだんだん合奏になる…その最初の一音は、ユーフォニアム。
奏から佳穂への托し方はそんな感じなのかも。
「いっしょに吹く?」で準備室でユーフォパートで吹いてたら、あちこちからいろんな楽器で合わせてくるとか。
翌週、終映だと思ってた地元劇場の上映予定が更新され、隔日ですが二度の上映予定があることを確認出来ました。
八度目
もう一度お別れできて嬉しいです。
さっそくその日レイトショーで再観賞しました。
観賞後も世界観に耽美出来る特典!

そして「本当に、これが最期なんだ」と再確認出来る特典がとても良きでした。
個人的に泣けたメッセージはもちろん奏。
そして分かり味が沁みたのはつばめでした。
つばめのメッセージを見て思い出すのはアンコン。

「久美子ちゃんらしいね」一貫した真っ当さのつばめが、音にうそのつけない真由のそばで真由の支えになっています。
沁みたのは、そんなつばめが真由のそばで示した真っ当さって、アンコンの久美子が軸になっていたんだな、ていう分かり味です。

紡がれてますね。
そしてEchoes of Tomorrow〜わたしたちの自由曲〜が尊かったです。

特にソロが連続するところ。
両曲はキーが違うと思ってたけど、三日月からリズに移る瞬間のペットからオーボエに移るところがぞくっとします。
そしてほどなく、地元劇場は終映となりました。
本当の終映日は円盤発売が発表される日になると思いますが、我的ユーフォリアタイはこれで完奏とします。
まずはユーフォにひたりきりだった間TVアニメを一月半分HDDに積んだまま、秋クールはまだ一本も見てなかった積アニ。
そして資格学習もブランクにしてたので、再学習がんばる。

最終楽章をもってユーフォを完奏した感想
後編は最終的に8回の観賞となりました。
もちろん我的史上最多を更新。
その内訳です。
- 「🎬舞台挨拶LV」地元
- 🎫TOHO下田
- 「🎼演奏会」丸の内ピカデリー
- 🎫「DolbyAtmos」フォーラム盛岡
- 🎫地元
- 🎫「DolbyCinema」movix京都
- 🎫地元
- 地元
🎫…ムビチケ。
舞台挨拶LVや演奏会という特殊エンディングにも参加できるという貴重な体験でした。

二日目で既に売り切れとなっていた「北宇治高校吹奏楽部 思い出アルバム」も公式にて予約。
もう悔いはありません。
最後に、完奏した今だから申せます。後出しではありません。
後編ラストシーンは内心の希望が叶ったものでした!
なぜなら、私は原作未読時の24年春クール当時放送されたユーフォ三期のテーマを
「責任を全うするために何かを犠牲にしてきたはずの晴香先輩や優子先輩の偉大さを実感すること」
「音楽とは音を楽しむ、それは上手い下手よりも大事なこと」
だと想像してたので。

その三期リアタイは8話から9話のあまりのつらたんに途中で原作既読勢に転向し、前編クライマックスの10話を噛み締め、

原作どおりになることになんの疑いももたないまま、既読後数週間であの12話で強い衝撃を受けたので。

衝撃とはその12話を受け入れないわけではなく、その12話で製作者が届けたいテーマへの強い意図を感じ、もし本作のテーマが私の想像と同じ方向性なら、久美子が得るはずの何かは最終回での「響け!ユーフォニアム」の合奏が象徴してくれる、と思ってたからです。
だから三期当時、最終話の「三日前」に合奏がなかったのは、実はとても残念でした。
その後私は宇治に通うようになりました。
自覚はなかったのですが振り返るとやはり12話の衝撃が大きかったんでしょう。
「巡礼」で五感を通じて世界観を体験することにより、少しでも製作テーマや改変箇所の意図を知ろうとしたからです。
私が巡礼で感じた制作者の意図は、宇治で糸でつながりました。

それは花田先生の「ファンムービーならこれでよい」ではどうあるべきか?の自問自答に対する、後編最後のメッセージ「紡がれていく物語」。
半ばにして断念せざるを得なかった志を、繋げることで乗り越え、互いにマージし織りなす「紡ぐ」を、私たちにも受け取ってほしいから。
「石じゃないよ、人だよ」と述懐した滝先生から、奥様を亡くされた喪失感の大きさが改めて感じられたように。

響いてますよ!ユーフォニアム、繋がってますよ!志。

もしまた宇治を訪れる機会があるとしたら、巡礼の主旨は自分的にこれまでとは異なるものになるかと。
探すのではなく「紡ぐ」を確信として心に刻み、日常を生き、返報する巡礼として。
そんな制作者の意図を仮説してるので、逆算で考えると、劇場版最終楽章の製作は既に三期と並行して計画していた、と私は推察してます。
一方で、何かを犠牲にしたことで得たものであるもうひとつの象徴、全国金賞直後の久美子と秀一のシーンがあおりを受けたのは、多少残念ではあります。
ただもちろん時間的工数的な制限もあったと思いますし、何といっても真に優れたフォロワーとは、その存在を悟らせないものです。
秀一の懐の深い尊さは決して色あせるものではないので、原作で補給します。
ふと、Google Nest Hubの目覚まし機能で前編アバンが自動再生されました。
この映像、前後編すべて製作した最後に作ったのではと思うぐらいの、後編ラストシーンの対照ですね。
朝から泣いてしまいます。
円盤を入手するまでの間は、OSTとこれらの動画でロスを埋めます。

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